三井三池炭鉱(港沖四山鉱)

大牟田市と荒尾市の境界付近に港沖四山鉱の跡がある。
昭和40年に開坑し、昭和62年まで稼行した比較的新しい炭鉱であるが、
この「港沖」という地名は何と読むのだろうか。
「コウオキ」?それとも「ミナトオキ」??
(※大牟田の警備員さんより、「ミナトオキ」が正しいとご教授いただきました。)



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正門跡。かつては多くの鉱員たちが通ったのであろう。

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表札は剥がされていた。

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事務所跡。鉛色の空と奇妙なマッチを見せる。

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こちらは機械工場跡か。

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工場内部。かつては多数の採炭機械が並んでいたのであろう。

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事務所付近に残る貯水槽。
大牟田市内にあった遊園地「ネイブルランド」に使用されていた。

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事務所内部。床面のレール状の物は何だろう。

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便所跡。水洗であり、「新しい炭鉱」であったことをうかがわせる。

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浴場跡。

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浴槽の多さに「三池」の大規模さを実感する。

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かつては男達の憩いの場だったのであろう。しかし、今は虚しい空間が広がるのみである。

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浴場に残る注意書き。作業着は厚く、乾きにくかったのであろう。


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こちらは脱衣籠に関する注意書き。

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浴場の隅にある機械類。これもネイブルランドの設備であろう。
炭鉱の廃墟に遊園理の廃墟が同居している。

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事務所の2階へ。

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体育館を連想させる内部。繰込場の跡か。

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2階から立坑があった辺りを臨む。

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出炭日本記録の時計。三池の新鋭鉱として存分に威力を発揮したのであろう。

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検身所跡。ここで身を改め、男たちは地底へ向かった。

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立坑跡。田川市の旧伊加利立坑を移設して使用していた。
辺りを睥睨した櫓はなく、今は単なる茂みである。



現在、港沖四山鉱の施設は解体が進んでいる模様である。
宮原立坑や万田立坑など、「明治の炭鉱」は文化財として整備が進んでいるが、その一方で「昭和の炭鉱」は急速に姿を消しつつある。

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この記事へのコメント

大牟田の警備員
2014年11月07日 18:50
みなとおきです。6年程前に付近の現場に行った際には野犬数匹と遭遇しましたが、今はいないんでしょうか?

ちなみに、反対側のトラック会社の中には新港排気竪坑の後処理が今でも行ってありますが、私有地内なので侵入は不可能です。
宇垣おぴょぴょ(管理人)
2014年11月07日 21:11
>>大牟田の警備員さん
「みなとおき」なのですね。ありがとうございます。
ここに行ったのは約3年前ですが、特に野犬などはいませんでしたよ。
私も新港排気立坑にも足を延ばしてみたのですが、仰る通り中には入れませんでした。大牟田や荒尾を巡っていると、本当に三池炭鉱は巨大な炭鉱であったのだなと実感します。
トライスター
2014年11月07日 21:36
思わずへぇ~っと思ってしまいました♪
残っていたんですね~
宇垣おぴょぴょ(管理人)
2014年11月07日 22:08
>>トライスターさん
思ったよりたくさんの遺構が残っていましたよ。
特に浴場は見ごたえがありました。
現在はどれだけ残っているか、気になるところです。
聞くところによると、ここにもメガソーラーが計画されているとか。

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